AOSHIMA BEACH PARK

Session On the Shore

日常と非日常、行き来することで見えるもの。

Photographs_PAK OKSUN
Text_Satoshi Ogura

かつて俳優として芸能界にその名を知られた小橋賢児。いまでは日本最大級のエレクトロダンスフェスティバルである『ULTRA JAPAN』や、伝統の花火と最先端テクノロジー、そしてパフォーマンスを融合させた『STAR ISLAND』の仕掛け人として、その動向に注目が集まっている。そんな彼が、サーフィンを通じて親交を深めた宮原秀雄の案内によって、青島ビーチパークを訪れることに。常に変化をつづける小橋賢児が、宮崎の海でもう一つの顔を覗かせてくれた。

――まずお二人はどんな出会いだったのでしょうか?

宮原賢児との出会いはサーフィンだよね。まだそんなに親しくないころに二人で海に行って。

小橋7、8年前ですね。僕、当時クルマを持ってなくて。

宮原じゃあ迎えに行くよ! っていって南房総に行ったんだよね。で、お互いサーフィン熱が強い時だったから、それからバンバン行こうよって。

小橋あの頃ってすごく体を鍛えてて人生で一番元気だったんです。でも実はその数ヶ月前まで体がボロボロでもう最悪の状態で。30歳になる直前で、仕事もなくてお金もなくなっちゃってもう真っ暗闇の中にいたんです。そのうえ肝臓を壊してて、お酒全然飲んでないのに。それで体を鍛えて病気治そうって。

宮原本当? それは知らなかった。

小橋そうですよね。「人生、男は30歳から」って思っていたのに人生どん底でした。それでもう一回やり直すには、馬鹿みたいな目標でも立てなきゃだめだなって思ったんです。じゃあ自分の誕生日をイベント化してオーガナイズすれば、お金も集められるしいい場所だって借りられるって考えました。それが後のイベント制作会社につながるんですね。

――いまでは『ULTRA JAPAN』や『STAR ISLAND』という巨大なイベントのプロデュースを手がけています。そんななかで日々のインプットやリフレッシュはどうしていますか?

小橋傍から見て華やかなものをつくることって、華やかなものだけを見ていれば出来るのかっていうと全然そうじゃないんです。イベントで人が喜ぶっていうことは、実は心が動くってこと。じゃあどうして動くのかっていうのは、自分なら何に心が動くのかってことを理解していないと、ものをつくり出すって難しい。「中道」っていう好きな言葉があります。両極を知るからこそ、真ん中の道を知るって意味です。自分が普段いる場所とまったく反対の場所に身を置くと本当に自分がしたいことがわかるんですね。だから意識的に海や山という自然の世界に身を置くようにしていますね。

宮原そうだよね、本当に。『ULTRA JAPAN』や『STAR ISLAND』こそが小橋賢児だって思っている人は多いだろうね。でも、やっぱりそういう振り幅がある人に魅力を感じるし、自分もそうでありたいと思う。僕も、青島ビーチパークみたいに宮崎の良いところを紡いでいく、一方でそれをちょっと変えてみようとして東京っていう都会に行ってみる、って感じで行ったり来たりだもんね。

小橋僕はヒデさんの宮崎と東京を行き来する生活ってめちゃくちゃ羨ましいです。でも、羨ましいっていうのは誰でもできるんですけど、実際に行動に移せる人ってなかなかいないじゃないですか。

宮原そう。よく東京の知り合いが宮崎に来ると、こんな生活羨ましいって言われるけど、じゃあやったらいいよ! って思う(笑)

小橋僕、行動は誰にでも出来る錬金術だって思ってるんです。あれこれ考えるより行動すれば、時間は掛かってもその先に必ずその意味が出てくる。目標を立てて何かになろうっていう人生もあるけれど、その場その場で感じたものを紡いで未来が出来上がっていく人生もあると思います。青島ビーチパークも、ヒデさんが思い描いたイメージとそれを現実にできるってことが繋がっている気がしますね。

――イベントプロデュースを手がける小橋さんの目に、青島ビーチパークはどう映りましたか?

小橋いまはイベントと並行して、海岸や公園の再開発に携わるようになりました。そんなタイミングで青島ビーチパークはすごく刺激になっています。ここをきっかけに街の意識が変わって、そのまわりも変わっていく。さらに宮崎だけじゃなくて全国の事例になって日本が変わってく。それって本当の街づくりだなって思ってます。イベントは日常のなかに非日常を生み出すこと。普段はありえない奇跡の瞬間をつくるっていうのがイベントをやる意味なんです。けど僕も子供が生まれてから、すごく変わってきていますね。子供が大人になっても体験出来るものや、ずっと残るものをつくっていきたいって。

宮原日常と非日常ってことでいえば『ULTRA JAPAN』や『STAR ISLAND』って、もう圧倒的に非日常だよね。でも僕は全く逆で、自分が想い描いてる日常をどんどん作ろうって。青島ビーチパークは、日常っていうのを形として残すための場所だと思ってるの。

小橋理想の日常をつくってるってことですか?

宮原そう! 理想をみんなで日常化していくということ。例えばカリフォルニアやゴールドコーストで見てきたのが、理想の日常なんだよね。おじいちゃんとおばあちゃんが手をつないで散歩してたり、そこらじゅうに芝生があってずっと本読んでいたり。海辺で一日中過ごすってなんて豊かなんだろうって。宮崎に来たときに、それって現実にできるんじゃないかな?って思ったの。その一方で『ULTRA JAPAN』や『STAR ISLAND』みたいな非日常なものとのバランスもね。まさしく賢児のいう「中道」ってことなのかもしれないけど、その振り幅はちゃんと知っておきたいよね。

小橋僕がイベントをつくるときも「わぁ! すごい!」って思ってもらえるだけじゃなくて、みずから動きはじめるようなきっかけ作りだって意識するようになりました。やっぱり世の中には「いい会社に入るために勉強しなきゃ」っていうような'have to'が多い。でも自分の知らない感情に出会うことによって、そこからはじめて'want to'が生まれるじゃないかなって。そのきっかけとしてイベントの非日常体験っていうのはすごくわかり易いんです。わぁ! 楽しいって自分の心が喜ぶってことを知る。次はそこからどう日常をつくっていくのかってことですね。子供ができて家庭を持つと、家族と過ごす一瞬一瞬が大事になってくる。それが僕にとってヒデさんの言う理想の日常をどうつくるかってことかな。これはすごいテーマだと思っています。

宮原そうだね、本当に。そういう非日常の気付きが、日常を良いものにしていく上で大切なんだって思うよね。

小橋 賢児

LeaR株式会社 代表

1979年 東京都生まれ。27歳で俳優としての活動を休業後、 世界中を旅しながら、映画やイベント製作を開始。フランス発祥のシークレットディナーパーティー『DINER EN BLANC』、アメリカ・マイアミ発の巨大ダンス・ミュージックフェスティバルの日本版『ULTRA JAPAN』など大型イベントのクリエイティブ・ディレクターを務める。2017年には未来型花火エンターテイメント『STAR ISLAND』を開催し成功を収めた。

宮原 秀雄

青島ビーチパーク 統括ディレクター

1973年 山口県下関市生まれ、愛知県育ち。関西学院大学経済学部卒業後、博報堂入社。2014年3月末に退職するまで17年間、アカウントプロデュース職を務める。その後独立起業し、㈱CANVASを立ち上げる。各種ブランドやクリエイティブのディレクション、新しいコミュニティのプロデュースなどに携わる。2015年1月に東京を離れ、宮崎へ移住。青島ビーチパーク始動からその統括ディレクターを務める。その他、一ツ葉のThe BEACH BURGER HOUSEの統括ディレクターも務め、AOSHIMA BEACH VILLAGEプロジェクトについても統括ディレクターとして進行させている。