AOSHIMA BEACH PARK

Session On the Shore

継続の先に見えてくる景色

毎年5月下旬、神奈川・横浜赤レンガ倉庫で開催される「グリーンルームフェスティバル(以下、グリーンルームフェス)」。サーフカルチャーやビーチカルチャーを背景に、音楽とアートを融合させた野外音楽フェスだ。2005年の初開催以来、年々と客足を伸ばし続け、15年目の今年は12万人を動員。いまや日本を代表する音楽フェスの一つに数えられる。弛まない進化を積み重ねて来た15年間。オーガナイザーである釜萢直起氏の眼差しの先には何があるのか。青島でのセッション後、リラックスした雰囲気のなか、氏とも親交の深い青島ビーチパーク統括ディレクターの宮原秀雄との対談を設定した。

――お二人はどんなきっかけで出会われたんですか?

宮原もともとお互いの奥さん同士が知り合いだったんだよね。それがきっかけで、ウチでよくやってたホームパーティに顔を出してくれたのが、最初かな。

釜萢もう7年くらい前だね。

宮原彼がグリーンルームフェスのオーガナイザーだっていうのは知ってたけど、話をしたのはそれが初めてだったね。

――グリーンルームフェスには毎回素晴らしいミュージシャンが参加してますが、今年のラインナップも良かったですね。

釜萢特に今年は最高でした。Tom MischやLeon Bridges、大好きなアーティストがついに出演してくれたって感じで。

――そもそもグリーンルームフェスを立ち上げたのは、どんな経緯だったのでしょうか?

釜萢ロサンゼルスとサンディエゴのちょうど真ん中ぐらいにラグーナビーチってあって。2004年にそこで行われたムーンシャインフェスティバルっていうイベントを見に行ってすごく感銘を受けたんです。それで主催者にこれを日本に持っていきたいって話をしたんですが、結局ムーンシャインは資金難でそれきりなくなってしまいました。僕の方はもう火がついていたので、グリーンルームフェスって名前で2005年にフェスを立ち上げました。

宮原グリーンルームフェスの初期の頃って、僕の周りじゃこれって何のイベント?みたいな反応だった(笑)それが今じゃ都市部でやるフジロックみたくメジャーな存在になってるよね。

――ひとつのカルチャーを背景に、音楽だけでなく様々な分野のアーティストが参加するというのが、ほかの野外フェスと大きく違うところですが、意識的にそうなったのでしょうか?

釜萢やっぱりカルチャーとしての匂いみたいなものは常に大切にしてますね。音楽だけじゃなくて、アートやフィルム、フードも含めないと、その匂いって出てこないと考えていて。

宮原ライブ会場として有料のステージが二つあって、その外側の無料エリアにアートや映画が上映されてる感じだよね。そこにいろんな人が集まってコミュニティをつくってて、すごく開かれてる雰囲気がある。

釜萢無料エリアも手を抜いてないからね。収支で言えばコストでしかないわけだけど、その無駄な部分が一番大事だと思ってる。やっぱりサーフィンにしても、ビーチにしてもそもそもが自由というかオープンなものだから。

宮原まさに青島ビーチパークも花火やシネマ、DJだったりいろんなイベントが無料で…まあ有料にしようにも物理的に管理できるものじゃないんだけど(笑)でも、開かれてるからこそのビーチだったりするんだよね。グリーンルームフェスと青島ビーチパークは全然違うものだけど、そういう根本的なところでシンパシーを感じてる。

――グリーンルームフェスと青島ビーチパークとでは、やはり開催される期間が違いますよね。

釜萢青島ビーチパークは、ひと夏を通しでやれるっていうのが最高ですよね。やっぱりフェスってどんなにクリエイティブなものを考えて作ったとしても次の日には撤去されるものなので。それを常に置いておくことが出来て、付け加えていきながら何かを生み出すことができるってすごく羨ましい。フェスの刹那的なものとはたぶん真逆のところだよね。

宮原青島ビーチパークは4月末から9月末まで、毎日毎日のなかで積み重ねていくものだからね。それって暮らしや日常をどう創っていくかってことだって考えてる。でも青島ビーチパークはまだ5年、グリーンルームフェスなんて15年間もやってる。継続させていくことでしか見えないものってあるんじゃないかな。

――そのあたりは釜萢さん、いかがでしょうか?

釜萢結局のところ1年1年の積み重ねで15年やって来られたな、っていうのが正直なところで。9年目まではすごく赤字が続いて、10年目で初めてビジネスとしての成功あったのかな。とにかくフェスを創るってこと自体に魅せられてたし、毎年もっと良いものにしたいって思ってた。

宮原成功するまで10年続けるってすごいよね。普通やめちゃうよね(笑)

釜萢もちろん赤字はイヤなんだけど、それよりももっとお客さんを喜ばせたりとか、もっと格好良いものを創ったりとかっていうことにどんどんのめり込んでいったんだよね。フェスを始めてから、それを継続させるためのビジネスやプラットフォームを考えるようになったし。もうフェスがビジネスとして成り立つようになって5年以上経ってるから、昔の苦労は笑い話みたいなものだけど。 

宮原いま聴いていてなるほどって思ったんだけど、続けていくことでお金に代えられない人的な財産ってあるよね。例えばグリーンルームフェスや青島ビーチパークを続けていることで出会える人たちって、ガツンとノリが合う。そういう人たちと一緒に何かやろうとなると、あっという間に次の展開に転がっていくから。

釜萢そうだね、それは同じだね。

宮原そうやって続けていくと最初に立ち上げた人間、代表者の思いがひとりで進みはじめるタイミングってあるんじゃないかな。いろんな人たちが関わることで、塗り重ねられたり拡大していったりする。そしてそこに集まってくる人たちが、ひとつの風景を描いていく。それは代表者だけでは描けないものだからね。

今年、9月7日(土)から15日(日)までの9日間に渡って、宮崎市木崎浜海岸で開催される「2019 ISAワールドサーフィンゲームス」(以下、WSG)。開催期間中の7~8日には音楽フェス「ISAワールドサーフィンゲームス フェスティバル」の開催が決定。世界の注目を集める本大会の運営、そして音楽フェスには、釜萢氏・宮原の両者が携わっている。二人にその意気込みを語ってもらった

――WSGの運営、そして同時に開催される音楽フェスの制作にGREENROOM CO.として携わるそうですね。

釜萢そうですね。うちはプロダクションとして関わっています。WSGはオリンピックの前哨戦。50カ国以上から世界のトップ選手が集まってくるので、それを間近で見られるのが楽しみです。

宮原宮崎の波や気候がすごく良いってインパクトを与えられるチャンスでもあるよね。

――音楽フェスはサーフィンに関わる人以外の関心も高いのでは?

釜萢フェスの方は随時発表されていくだろうけど、本当に素晴らしいアーティストが出演することになっているので楽しみにして欲しいです。

宮原グリーンルームフェスみたいな雰囲気になるといいよね。僕はフェスをお手伝いすることになってるけど、宮崎の人やお店をコーディネートして、その良さを知ってもらうきっかけにしたい。50カ国以上の人たちがピンポイントに集まるってなかなかないことだから。

釜萢WSGが終わったあとも、毎年大会があって音楽フェスがあってという形を残していって、いずれ日本で一番大きなビーチフェスが出来るようになったら最高だよね。そしたら僕も毎年宮崎でサーフィンできるし(笑)

宮原確かにそれ大事なトコだね(笑)

釜萢 直起

GREENROOM CO.代表取締役

1973年東京生まれ。町田市で育ち、中学生の時にサーフィンやスケートボートと出会う。大学へ進学するも、サーフィンを諦めきれずオーストラリアへ留学。サーフィンと旅の生活を送る。帰国後、広告代理店勤務を経て、1999年に独立し、GREENROOM CO.を設立。サーフブランドのブランディング業を主軸に、イベント業やギャラリー、カフェの経営、映画の配給などに携わる。2005年に横浜で野外音楽フェス「グリーンルームフェスティバル」を開催。今年で15年を迎える。

宮原 秀雄

CANVAS代表取締役

1973年山口県下関市生まれ、愛知県育ち。博報堂に入社後、2014年3月末に退職するまで17年間、アカウントプロデュース職を務める。その後独立起業し(株)CANVASを設立。各種ブランドやクリエイティブのディレクション、新しいコミュニティのプロデュースなどに携わる。青島ビーチパーク始動からその統括ディレクターを務める。その他、一ツ葉のThe BEACH BURGER HOUSEを手がけ、2020年夏にプレオープンを予定するAOSHIMA BEACH VILLAGEの総合プロデュースも行う。